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生物多様性コラム

人口減少社会における自然再生

中村太士
北海道大学大学院 教授

 

 日本における急激な高齢化と人口減少は、多くのメディアが報道するように、医療や介護などの社会保障、年金、税収、社会資本整備など、さまざまな分野に影響を及ぼすと考えられる。必然的に、社会福祉や行政サービス、経済活動が低下すると予想され、将来シナリオは悲観的である。しかし、人口減少は、本当に悲観すべきことなのだろうか?未来を語るためには、現状を知らなければならないし、現状を知るためには過去の歴史に学ぶ必要がある。まずは、歴史を振り返りながら、日本の森や川、湿地の変貌について述べ、日本の現状を確認したい。

 

 日本の人口は、飢饉や疫病、戦争等で一時的に減少する時期や地域はあったとしても、全体的傾向は一定で、常に増加し続けてきた。鎌倉幕府成立時(1192年)757万人、室町幕府成立時(1338年)818万人、江戸幕府成立時(1603年)1227万人、明治維新(1868年)3330万人、現代(2000年)12693万人である。江戸時代以降の急激な人口増加に伴い、森林をはじめとした日本の自然資源は、約300年前から、かなりの過剰利用状態にあったと推察される。江戸時代は、バランスのとれた資源の循環利用が達成されていたとよく言われるが、燃料を化石資源に頼らずに、国内の森林に依存した場合、人口が3000万人に増えた段階で、ほぼ限界に達していたと思われる。その証拠に、絵に描かれる江戸時代の里山は、ほとんど木の生えていない禿山や痩せ地に生える松林が多い。

 

 

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 明治維新以降は化石燃料の利用が始まるが、国内木材資源の利用も続き、明治から戦後にかけて、日本の森は荒廃し、一部は禿山に近い状態であった(写真1)。禿山で浸食された大量の土砂は川を埋めつくし、川底が上昇し、洪水や土砂災害も頻発した。その後、1950 年代から1970 年代にかけて高度経済成長期を迎え、土地利用の集約化が進んだ。戦後の経済復興を支えるため、木材需要は急増し、これに対応するために、政府は“拡大造林政策”を推進した。拡大造林とは、広葉樹主体の天然林を伐採して、針葉樹中心の人工林に置き換える政策であり、日本全体で約1000万haにのぼる人工林がこの時期を中心に植林された。しかし、その後、安価な外材輸入が始まり、結果的に日本の人工林は温存され、輸入材に頼る体質(自給率約25%)は今も変わっていない。

 

 明治から戦後にかけて、荒れ果てた森林地では活発な土砂生産が続き、河川は天井川化し、治水上の問題を抱えた。このため、治山・砂防ダム建設が進められ、日本でダムが存在しない渓流はないほどまでになった。さらに、高度経済成長に必要な電源開発や水利用のため、多くの貯水ダムが建設され、その後、洪水調節を含む大規模多目的ダムが主流となった。そして、社会資本整備のための道路や鉄道、建造物の資材として、河川では大規模な砂利採取が行われ、治水と農地開発の目的で河道の直線化が行われた。

 

 明治時代、まだ川の両岸に広がっていた後背湿地は、その後の河川改修、農地開発とともに激減した。全国でもっとも広く湿地が分布する北海道(日本全体の85%程度)では、高度経済成長期以降約60%減少しており、全国的にも同規模の縮小が起こっている。特に1961年の農業基本法の制定以降、後背湿地の開拓が進み、河川の捷水路(直線化)工事と築堤工事が進められた。捷水路工事は流路延長を短くし、河床勾配を急にするため、一般的に川底が下がる。これに連動して、河川の両側に拡がる後背湿地の地下水位も下がり、田畑として利用することが可能になるのである。

 

 このように自然環境が変貌を遂げる中、日本の人口は2005年以降、減少に転じた。北海道の人口は、本州以上に急激に減少する。道東や道北の多くの市町村人口は、今後2005年から2035年で約40%低下し、人口規模は1950年代前半に逆戻りすると推定されている。冒頭で述べた通り、これまで日本人は、人口が増加し膨張する地域社会しか経験しておらず、これから初めて収縮する社会を経験することになる。人口減少という社会レジームの変化とともに、森と川と湿地生態系のレジームシフト(regime shift: 閾値を越えた結果、全く異なる生態系に移行してしまうことを意味する)も起こり始めている。

 

 安価な外材輸入の結果、林業として成り立たない等の理由から管理放棄され、間伐も実施されない、真っ暗で過密度状態の人工林が全国に増えており、台風等による林分倒壊が心配されている。かつて里山と言われてきた農山村地域は、限界集落と言われるまでに人口減少と高齢化が進み、放棄人工林のあちこちに竹が侵入している。これらの竹林は、管理されないまま旺盛に、そして暴れるように拡大し、密生した竹林が倒壊している場所も多い。さらに、ヒトの里山からの撤退とともに、野生動物による被害が顕在化してきた。ニホンジカによる植生破壊は全国で発生している。それ以外にもイノシシやサル、クマの被害が報告されるようになってきた。こうした放棄によって劣化する生態系を修復するためには、まずは海外からの木材輸入を抑え、国内の人工林資源の利用を進める必要がある。こうした持続的な国内資源の利用は、海外の生物多様性に大きな影響を与えてきた日本の国際的責務でもある。

 

 川の砂利採取やダム建設、禿山の縮小に伴い、川の流量変動や土砂の流出が極端に抑えられ、日本の沖積河川では川底が異常に下がっている(写真2)。それとともに、かつて砂礫に覆われていた河原に樹木が侵入し、旺盛に拡大し始めている。湿地でも同様に、周辺流域から土砂や栄養塩が流入し、地下水位が低下し、ササや樹木が侵入し拡大している。釧路湿原では1950年以降、ハンノキ林の拡大によって低層湿原の面積が約60km2縮小した。

 

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 生態系の大きなレジームシフトを受けて自然再生を考える時、人間の無力さを感じる。しかし、一方で自然は本来の生態系に戻る力、レジリエンス(resilience)を持っている。たとえば、近年顕著になってきた放棄農地の変化である。2011年末、北海道の耕作放棄地は1万haを超えた。かつて後背湿地を開拓して作られた放棄農地は、明暗渠による排水がうまく機能しなくなると湿地に戻り、森林地に近い山麓緩斜面の放棄農地は、周りから樹木種子が供給されれば二次林に遷移している。まさに、受動的(passive)な自然再生である。

 

 一方で、地球温暖化の影響で、集中豪雨が発生したり、大型台風が襲来する頻度は高くなってきた。東日本大震災を契機に、国は国土強靭化計画(※)を唄い、高さ約10m、延長約300kmにわたる防潮堤を建設する予定である。しかし、この流れは高度経済成長期の考え方の延長線上にあるとしか思えない。新たな視座に欠けている。五木寛之の「下山の思想」に書かれているように、山頂を目指して登山する時(本論では人口増加期)には見えなかったモノが、下山する時(人口減少期)にはゆっくりとした背景として見えてくる。経済的な豊かさを目指した高度経済成長期には見えなかった新たな価値観と可能性が、人口減少によって今後見えてくるかもしれない。日本の防災と自然再生の未来像は、自然・社会システムの大きな変化を見据えながら検討すべき時期に来ている。

 

※  東日本大震災後、閣議決定した国の防災計画を指す。私たちの国土や暮らしが致命的な被害を負わず速やかに回復するように、新たな防災計画を構築すると謳っているが、実態は巨大防潮堤に象徴されるハード構造物中心の考え方が実行され、経済的視点のみが強調されている。生態系や地域コミュニティの回復力を活かした視点は薄い。

 

 急激な人口減少社会では、農地ばかりか、町の病院、学校、水道、道路などの社会資本を維持することも、今後ますます難しくなるだろう。これまでどおりの生活圏を前提に、公共投資を続けることは明らかに無理があり、土地利用の集約化を進めざるを得ない。こうした土地利用変化の流れを生かしながら、洪水氾濫区域からのヒトの撤退が可能になれば、その場所は、現在急激に姿を消している撹乱依存種(撹乱がなくなると絶滅する種)を保全できる自然再生区域になるだろう。そして同時に、地球温暖化に伴う洪水規模の増加に対応した緩衝空間として、防災的にも機能すると思われる。まさに、グレーインフラからグリーンインフラへの発想の転換である。

 

 一例をあげる。北海道の千歳川流域では、洪水を抑えるために、現在150~280haにおよぶ広大な遊水地が6か所建設されている。これらの防災施設は、湿地景観を呈しており、雪解け時には多くのハクチョウ、マガン、オオヒシクイが集まりつつある(写真3)。釧路湿原に集中するタンチョウも現在、道内各地の湿地や放棄農地に拡散し始めており、これら遊水地は重要な繁殖場所として機能するだろう。千歳空港に降りて、タンチョウが雪原に舞う姿を見られるのは、決して夢物語ではない。これまでどおり経済的な豊かさを追い求めるのか、自然資本(大気、水、土壌、生物などの自然環境がもつ価値)がもたらす心の豊かさを求めるのか、日本は岐路にある。

 

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関連ウェブサイト

北海道大学 農学院・農学部 森林生態系管理学研究室

http://forman-eco.blogspot.jp/

http://www.agr.hokudai.ac.jp/formac/forman/ 

 

 中村 太士 (なかむら ふとし)氏  プロフィール

 

北海道大学大学院農学研究院森林生態系管理学研究室教授。愛知県名古屋市出身。1958年生まれ。中学時代から北海道に憧れ、北大に入学。ヒグマ研究会の友達らの影響や、札幌農学校のクラーク先生の言葉” Be Ambitious” に惹かれ、工学部志望から農学部林学科に変更。1990 年から92 年までアメリカのオレゴン州立大学で生態系管理学を学ぶ。森林と川のつながりなど、生態系間の相互作用を土地利用も含めて流域の視点から研究している。学会及び社会的活動も幅広く、森林学、応用生態工学など応用分野のみならず、地形学、生態学といった基礎科学の分野でも活躍している。国際誌Geomorphology, Earth Surface Processes and Landforms, Landscape and Ecological Engineering, Riparian Ecology and Conservation編集委員。2005年日本森林学会賞、2009年生態学琵琶湖賞、2011年尾瀬賞、2012年みどりの学術賞受賞。日本森林学会副会長、応用生態工学会副会長。中央環境審議会専門委員、自然再生専門家会議委員、釧路湿原自然再生協議会会長。主な著書に「水辺域管理-その理論・ 技術と実践」(古今書院)、「森林の科学-森林生態系科学入門-」(朝倉書店)、「川の環境目標を考える」(技報堂)、「川の蛇行復元」(技報堂)、「河川生態学」(講談社)などがある。
 

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